昨年末から肌荒れが酷い。最初はすぐに治ると思って放置していたのだけれど、悪化する一方なのでとうとう皮膚科に行ってみたら、「過労とストレスで出る発疹ですね」と言われた。ああ、ついに疲れが体に出るようになってしまったかと、本当に全然若くなくなったしみじみと思う。
そこで、湯治の旅に出ることにした。岩手県花巻市の花巻温泉郷、その中にある一軒宿の大沢温泉。江戸時代には歴代の南部藩主が利用し、また、宮沢賢治、高村光太郎らの文人もよく通った。特に高村光太郎はこの温泉を「本当の温泉の味がする」と評したらしい。癒しには持って来いの気がする。
大沢温泉は、豊沢川のほとりに立ち並ぶ純和風の旅館棟「山水閣」、昔の旅籠を思わせる茅葺き屋根の「菊水館」、古くからの湯治場である「自炊部」、これら3棟から成っている。今回は山水閣に泊まりこれら3棟は全て行き来ができたけれど、特に興味深かったのが自炊部だった。自炊部は基本的には素泊まりスタイル、食事は自分で調理し、純粋に温泉のみが提供される。建物は全て木造で、炊事場にはコイン式のガス台が並び、待合室には黒電話が構える。まるで映画で見る昭和にタイムスリップした気分。10円玉を入れてガス台が動くところなんて初めて見た。
この自炊部の炊事場を観察していると、不意にそこにでんと座っていたおじいさんに話し掛けられた。僕が古いものに関心を示しているのがおかしかったらしい。このおじいさん、大沢温泉に通い始めてもう30年以上になるとのことで、いつの間にか大沢温泉の昔話を話し始めた。大沢温泉の醍醐味は自炊部にこそある。山から来た人、海から来た人、皆が温泉に浸かって体を癒し、そしてそれぞれが自分たちの所在から持ち寄ったものを交換しつつ交流を深める。それこそが大沢温泉の本当の過ごし方なのだと。つい聞き入っていたら、おじいさんの奥さんが横で作っていたお雑煮とお汁粉をご馳走してくれた。野菜たっぷりで素朴な味、温かさが心に染み入る。旅のこういう出会いは本当に思い出に残る。次の機会があれば自炊部に泊まろうとも思った。
大沢温泉には7つの風呂場があるのだけれど、自炊部にある「大沢の湯」が一番素晴らしかった。渓流沿いの雪見露天。川の向こう側には雪化粧をした茅葺き屋根の家屋が立ち、いかにも赴き深い。お湯は源泉掛け流し、硫黄臭もなく、柔らかく優しい。外気が寒いものだからのぼせることもなく、いつまでも浸かっていた。体の心から温まって、まさに湯治となった。
いつも遠出をすると付近の旧所名跡を訪ねて慌しく動き回ったりするけれど、今回はこの温泉のみが大目的。お湯の中で手足をぐーっと伸ばして、体から心から疲れを抜き去った。たまにはこうして完全にのんびりするのも悪くない。冬の間に、もう1箇所くらい東北の温泉に足を伸ばしてみたいと思った。